2023/09/16
書店至上主義の時代は終わった―新しい発想と電子書籍の重要性
私は最近、9月15日のJPプレス「『町の本屋』を復活させる!じり貧の書店業界に構築する新たなエコシステム」という記事で安藤哲也氏の書店業界に対する挑戦について読みました。
その記事によれば、世界で活躍していた彼が日本に戻り、かつ選んだ場所が山形県河北町という決して、マーケットの大きいとは言えない町です。
そこで彼が目撃したものは、この町で唯一残っていた書店が閉店し、子供たちが本屋に行きたいと思った場合は、隣町のイオンモールまでバスに乗らなければいけないという状況でした。
出版文化産業振興財団の調査を朝日新聞が2022年12月8日の記事で以下のように紹介しています。
書店のない市町村が全国で26.2%に上ることが出版文化産業振興財団(JPIC)の調査で8日、分かった。全国1741市区町村のうち456市町村が書店の空白域となっている。人口減少による経営難や活字離れ、スマートフォンの普及による娯楽の多様化が背景にあり、全国の書店数はこの10年で約3割も減少。
確かに、昔住んでいた町を通りかかると、よく立ち読みしていた本屋がなくなって、代わりにコイン駐車場やコンビニになっているという経験をよくします。
私自身、書店に行くことはありますが、それは決して町の品ぞろえの少ない「本屋さん」ではなく、ショッピングモールなどに入っている巨大な「書店」です。なぜなら、その書店の中の本の陳列を見ることで、非常にリアルに、現在の読者のニーズが分かるからです。
その意味で安藤氏が「基本的な仕組みは変わっていない。取次という巨大な流通システムが残ったまま、市場は小さくなっている」「欲しい本に書店が出ない問題はこの20年変わっていないと思います」という見解はよくわかります。
安藤氏はこの状況に対して「本屋の復権」に力を入れようと思っているいるとのことですが、私はそれは時代の流れにぎゃっっこうするだけだと思います。本屋が少なくなるのは、銭湯が「内湯」がほぼ100%の家の中にある状況によって急速に数を減らしていることとそれは同じです。
にも関わらず、現代の自費出版や商業出版を扱う企業は本屋を重視しすぎていると感じます。それは彼らが、本心では商業出版や自費出版の書籍を「売ろう」と考えていないからだと思います。
でなければこのような「魚のいない池に釣り糸を垂らす」ようなことを、著者に勧める訳がありません。私見ですが、このような出版社は、おそらく流通の問題だけでなく、著者の持ち込む「新しいアイデア」「新しい見解」などについて語られた原稿に対しても、鈍感なのだろうと思います。
安藤氏も指摘していますが、書店がないことが問題となる中、今後重視すべきは電子書籍です。同時に、そのような新しい発想で、本の企画も評価し、支援して行かなければなりません。もう古い発想ではダメなのです。
その点、私たち、クリエイティブ集団 COW AND CATは、電子書籍も含めた一連出版オプションを提供し、Amazonを活用しているのと同じ思想で、著者様の新しいアイデアや物語を積極的に発信できる環境を整えています。感性を持っており、他の出版社では相手にされないような斬新なコンテンツにも積極的に取り組んでいます。
どのような業界でもそうだと思いますが、常に未来を見て動くことが、自社の発展だけではなく、ステークホルダー(私たちで言えば、読者、そして著者様)の進化につながると思います。そしてそれが「本で世界を変える」ことなのです。
2023/09/10
マドンナの才能
最近また洋楽を聞きたくなって、とは言っても80年代、90年代の今の若者からしたら「懐メロ」なんですが、その中でマドンナがよく流れて来て、今更ながらに多彩さに驚きます。
そもそも評伝などによれば、母親が早くに亡くなり継母との仲が悪く家出をして、ニューヨークでヌードモデルやウェイトレスをしながら、ホームレスさながらの生活を送っている中、チャンスをつかんで今のポジションまでゲットしたのですから、たいしたものです。
特に、デビュー曲だと思ってましたが、実はそうではない「Like a Virgin」が本当に頭の弱い、エッチなことしか考えていない女の子のコケティッシュな声で、これを自分の歌い方で作っているだとしたら、何という才能だろうと思っていました。
それも、曲のコンセプトに合わせて自分をあばずれガールに完璧に仕立てるプロデュース力もさることながら、声から歌詞からダンスまでそろっている点は大変なものです。
そしてこのコケティッシュな声が普通なのかと思っていると「Like a Prayer」では、非常に荘厳とも言える歌い方で、かつ十字架を燃やし、有色人種と心を分かち合うような演出のミュージック・ビデオ(今はビデオではないですが)が、当時大ひんしゅくを買ったということですが、非常に名作です。
少なくとも自分は、力を持った白人よりも、力のない有色人種側に立つ(黄色人種が出て来なかったのでアングロサクソンとアフリカンというべきかもしれませんが)という明確な意思を示していて素晴らしいです。
で、このマドンナという名前も、マリリンモンローをイメージさせる演出の一環かと思っていましたが、これは本名だそうで、驚きました。
また「Like a Vergin」の声も、一部の本ではデジタル合成という話もあります。まあしかし音声をデジタル合成し始めたのはもう少し後なので、やはりマドンナの多彩な歌い方の1つなのかもしれません。
このあたりのことを、Chat-GPTに聞いたところ「私の知識のカットオフは2021年9月ですが、その時点で「ライク・ア・バージン」が機械的に合成されたものという具体的な情報はありませんでした。マドンナの「ライク・ア・バージン」は1984年にリリースされた楽曲で、その当時はまだ現代の音声合成技術が発展していなかったため、一般的にはマドンナ自身の声を録音したものとされています。」という答えでした。。
2023/09/04
詩について
今私はある詩誌の会員で、3カ月に1回投稿しています。
以前は余りに毎日、詩が天から降ってくるようにできていたので、2つの詩誌に入り、毎回3~4編投稿していました。
ところが、1年くらい前から、自分の中の詩魂が尽きたというのか、書いている詩で扱う言葉が、ある一定の範囲からしか選ばれていないような気がして、自分のそれまでいわゆる「シュールレアリスム」系のものから、「普通の言葉で深い世界を語る」ということをテーマに路線変更しようと思い、そうなると1編づつにかかる時間も増えるので、1つの詩誌から脱会しました。
そして残った詩誌への投稿も1回1編にしました。
それでも、最近は過去から書き溜めている、数百編の詩を見直しても、当時は「これはOK」というフォルダに移してあるのですが、今はそのほとんどが「つまらん」と思われ、即「没」フォルダ行きです。
ここから、苦吟して詩を作れば、現在の状況も打開できるのかも知れませんが、まあ言い訳ですがその時間も気力もありません。
最近では、もう1つの詩誌もやめようかと思っているほどです。
別に批評会があるわけでもないので、入っているメリットはそこそこ有名な詩誌なので、配布先が多いことぐらいなのと、一応入会時に審査が合って通っているので、一旦やめてもし何年か後に復活したくなったら面倒くさいな、というだけです。
スランプというほどの深刻さはありませんが、「自分の才能はその程度だったんだ」という諦めが半分、「語りたい」何かが言葉にならないまま塊になって常に心を包んでいるのです。
しかし一方でそこから言葉を探し出し、生み出す作業には耐えられないな、という気持ちで揺れています。
2023/08/28
人工音声よりも肉声
弊社で始めや新しいサービスを紹介する動画のナレーションを「テキスト読み上げソフト」を使って入れました。
フリーアプリだからなのか、イントネーションがところどころおかしく、それを直したり動画と連携させたりしていたら、5日ほど作業に時間がかかってしまいました。
しかし出来としては、正しい情報を伝えているし、何より読み間違えがないので、十分合格点だと思い、これでこの仕事は終了、と考えていたのですが、改めてできあがった動画を見ると、どうにも違和感があります。
これを見た人は、そこからサービスの良さを感じていただけるか、ということです。
私がだした答えはNOでした。
理由は半前途はしないのですが、多分自分がそのような動画を見ても、決して予約する気にはならないだろうということだけは確信がありました。
そこで、音声だけを自分が読み上げる形で再制作することにしました。
しかし昔はもう少し活舌がよかったはずなのに(研修会で講師をしていると、アナウンサーみたいと言われたこともよくあります) 、今や加齢ためかとにかく語尾が明確ではありませんし、何より言い間違えるのです。
おまけに途中で「えー」などといったノイズも入ります。
なので、ナレーションとしての出来はかなり低いのですが、これを動画に合わせて再度見てみると、明らかにこちらの方が説得力があるのです。
多分、重要な部分は力をこめて話すし、何より人間が話しているその「熱量」のようなものが説得力になっているように思われました。
もちろん、もっと高い(有料の)音声アプリにすれば、そのような対応もして、十分肉声に匹敵するのかも知れませんが、今のいわゆる(簡易のものの場合)AIの限界はここにあるように感じました。
つまり人工音声よりも肉声の方が、どんなに下手でも説得力があるのです。
「初音ミク」というボーカロイドはすっかり定着ていますが、この場合どうなのでしょうか。よく観察すると、初音ミクが歌うのは、それも、リズムが速くて言葉にニュアンスのない歌です。だから違和感がないのでしょうか。逆にい追えば、初音ミクはスローテンポの情感を込めたラブソングは歌えるのでしょうか。
たとえば(非常に古い話で恐縮ですが)石川ひとみと初音ミクが「まちぶせ」を歌い合ったら、初音ミクには石川ひとみの切なそうなニュアンスは出せないのではないかと思います。
まあ、そういう意味では原作者の「生けるボーカロイド」とも言える松任谷由実自身の歌であれば、全くニュアンスが入っていませんから初音ミクでも変わりはないのかもしれませんが。
YOASOBIというユニットは大人気で私も気に入っていますが、ボーカルのイクラの歌い方は、ネットで指摘されているように確かにボーカロイド的です。
速くて短い音符にしっかり言葉を乗せられる点、地声と裏声の変わり目が非常に自然な点など。逆にい追えばボーカロイドでなければ歌えないような歌を、彼女は歌っています。しかしイクラの歌う方にはわずかにニュアンスがあるので、やはりYOASOBIは一部で言われているように「ボーカロイドバンド」ではないと思います。
2023/08/21
YOASOBIはなぜ売れたのか?
YOASOBIは、年甲斐もなく私の好む音楽ユニットです。小説を音楽にするというコンセプトは斬新であり、同時に自分でコンセプトを作らななくていい、小説の特赦を取り込める、という点でビジネス的にも優れたモデルだと思います。
ボーカロイドプロデューサーのAyaseと、シンガーソングライターのイクラの2人のコラボコラボレーションは素晴らしく、Ayaseが路上ライブをしていたイクラの声を聴いて、すぐに声をかけた、というのはまさに彼の世界観とビジネスモデルと実現するのに最適な歌声だったからでしょう。
2023年6月には、新曲「アイドル」が米ビルボードのグローバルランキング(米国除く)で1位を獲得しました。これは日本語の楽曲では初めての快挙で、スキヤキもYMOも宇多田ヒカルもできなかったことです。YouTubeの再生回数も1.62億回に達しました。
YOASOBIの音楽は、小説と音楽の融合、ボーカロイドの活用、アニメとの連携などが特徴です。そう意味で3点も、現代の潮流を押さえているので、売れないはずがない、というところでしょう。その証拠に「一発屋」ではなく、次々とヒット曲を連発しています。
ボーカロイドは日本発の音声合成技術で、世界中にファンがいます。YOASOBIは、ボーカロイドの魅力を最大限に引き出すことで、多様な表現力や個性を持った楽曲を作り出しています。
この背景には日本のアニメ文化が、やっと世界的な価値を持ったということを示しているでしょう。
麻生副総裁が2012年に建てた「漫画博物館」はその時は散々な評価でしたが、今になってその先見性が評価されるべきだと思います。
今やアニメは日本の代表的な文化であり、アメリカでも人気が高まっています。YOASOBIは、小説だけではなく「ガンダム」などのアニメ作品とのコラボレーションも行っており、アニメファンからも注目され、これも売れた理由の1つです。
また、YOASOBIのボーカリスト「イクラ」は、ボーカロイドを使っていませんが、ボーカロイドプロデューサーのAyaseと共に、ボーカロイドの楽曲をカバーしたり、オリジナルの楽曲を作ったりしています。
イクラの生歌は、ライブやテレビ番組などで披露されており、その高い歌唱力や表現力も評価されています。彼女も自身のYouTubeチャンネルでも、様々な曲を歌っています。
しかしイクラはボーカロイドではなく、人間の歌手です。その上で彼女はボーカロイドとのコラボレーションや影響を否定しておらず、むしろ尊敬しています。YOASOBIは、ボーカロイドと人間の歌手の共存や交流を示すユニットと言えるでしょう。
彼らは日本の文化や技術を活かした独自の音楽スタイルで、世界中にファンを獲得しています。アニメ文化がアメリカに根付いているという仮説は、一定の根拠があると言えるでしょう。しかし、アニメが「輸出品」として採算がとれるようになってきたかどうかは、調べないと分からないですね。
ちなみに私がYOASOBIで1番感じたのは、内容が簡単に言えば自己肯定、自分の未来を信じる、という方向の楽曲が多いことです。2000年代は、「心も身体もボロボロになった彼氏の隣に彼女である私はずっと一緒にいて、癒してあげる」という曲が圧倒的に多かったですが、YOASOBIの楽曲はこれと一線を画しています。
これはYOASOBIだけの傾向ではないかもしれませんが、それだけ景気が上向きになり、かつその中で育った世代が主要購買層になって来た、という証でしょう。