Ⅰ 社会は常識外れな説を「無視する。実はそこに価値が埋もれていると後で知る。
社会では時々、同時代の人にとって、常識外れな本が出版されます。
人々はその常識外れな内容に対して、ほとんど場合、違和感を抱きます。そして無視をします。さらにひどい場合は迫害さえします。
しかし実はその一方ではこの本を「新しい」とは感じているのです。
ところがその内容を認めることは、自分たちが守って来た規範や常識の否定になります。だから彼らは「常識外れだ」「非常識だ」と言って余計に批判するわけです。
つまり元々、人は保守的なのではありません。常識外れの本が出ることによって否応もなく保守的にならざるを得ないのです。この自分を、自分の権威を守る姿勢が人間の進歩を少なからず阻害して来ました。
Ⅱ 「常識外れな説の方が実は正しい」。これは時間が証明する
しかし数十年、百数十年という時間単位で見てください。実はその常識外れの本がむしろ「真実」だった、ということが、次々と判明しています。それは実験器具の進化や観測機の発達、あるいは新しい発見がもたらしているのです。私たちの生活、ビジネスはかつて自分たちの祖先が否定した内容を肯定します。、それをベースに進化していることが多いのです。
ですから私たちは「今は常識外れに見える斬新な発想、主張」を敢えて出版するのです。
もちろん明らかなウソ、偏見、妄想は受け付けません。
しかし私たちは常に「常識」を疑っています。もっと言えば、とても「面白好き」です。
つまり世の中では批判されている。存在を否定されている。学会の王道の説とはかけ離れている。という話や説を、積極的かつ前向きに受け入れようとしているのです。
確かに以下のことは言えます。
仮に私たちのところに常識外れの原稿が1000件持ち込まれたとしましょう。そのうち確かに999件は本当に理屈に合わない、虚偽、世界には不要なものです。
しかし1件は「世界を変える」かも知れない、本にする価値のあるものです。たとえばその「1000件の1件」とは、次のようなものです。
Ⅲ 「常識外れ」が「常識」に変わった例
世界史の中には「常識外れ」「異端」の説が「常識」に変わった例が、少なからず存在見つけられます。それは以下のようなものです。
- 16世紀 コペルニクスが天動説は唱えた。しかし聖書がすべてだと考えていた人々は彼を詐欺師だと言った。
- 19世紀 ダーウィンが『種の起源』で進化論を主張した。しかし、その考えが認められたのは出版から30年後だった。そして生物学会、 宗教界、すべてがひっくり返る騒ぎになった。
- 20世紀初頭にアインシュタインが一般相対性理論を発表した。その時、彼は特許庁事務員であり、若かった。物理学会にも属しない「素人」の考えには、誰も見向きもしなかった。彼は後に、ノーベル賞を与えられ「20世紀最高の物理学者」と称された。しかしそれは最初の発表から15年後だ。
つまり今の 「常識」は、かつては「常識外れ」であり「異端」でした。
このように歴史の流れを変えるような考察、作品は、同時代の人々からは評価されないのです。
Ⅳ あなたも「間違った常識」の被害者です
1 30年前の身の回りにあった「常識」
話が少し遠すぎました。もう少し身近な例を挙げましょう。私は昭和の生まれです。ですから30年前には以下のような規範やルールの中で学習し、生きてきました。
- 運動中に水を飲んではいけない。水を飲むと余計に疲れる。
- 授業中は集中して先生の言うことをひとつも漏らさないように、姿勢を正し、緊張していなければならない。
- 歯を磨く時は歯に対して縦に歯ブラシを動かさなければならない。
- 転んで怪我をしたら消毒してよく乾かす
2 30年後「常識」は「常識外れ」に逆転した
しかしご存じの方も多いと思いますが、上で書いたことは現代では「完全に間違い」だと言われ、現代ではこのように言われています。
- 運動中は適度に水を飲まないと脱水症状になって命に危険が及ぶこともある。
- 授業はリラックスして聞いた方が頭に入る。だから肩ひじをついたり、足を投げだすなど楽な姿勢でいた方が効果が上がる。
- 歯磨きは歯に対して横に歯ブラシを動かした方が虫歯予防に効果がある。
- 怪我をしたら水洗いをした上にラップをして湿った状態にしておいた方が早く治る。
私たちはこのような「誤った常識」の被害者です。多分、もう追及の仕様もありませんが、多く児童たちが真夏に水を禁じられた状態で体育の授業を受け、「事故死」していたに違いありません。
つまり私たちの身の回りでも、どんどん「常識外れ」だったものが「常識」に覆っているのです。だとしたら、今、学者や研究者、あるいは権威ある本が「常識だ」と述べていることが、絶対に覆らない、ということは誰にも言えないでしょう。
ですから私たちは「突飛で」「常識外れの」説や原稿を見せていただくと、心がときめくのです。
Ⅵ「世界を変える」ものほど、無言で消えて行く
あなたの原稿、企画あるいはアイデアや体験が、自分では画期的で独自のものなのに、何度チャレンジしても商業出版社の企画会議で没になってしまう場合、理由は以下のうちのどれかに入っています。
- 常識外れの主張なので出版社の人間に価値が理解できない
- 読者ターゲットが狭い、あるいはいないと推測される
- 大学、研究所などに属していないため権威がない
- ストーリーが突飛すぎて理解できない
- 客観的な証拠が示されていない
このような理由で「没」ばかり経験していると、人は出版のモチベーションを失うか、本当に自分の本には価値がないと思い込んでしまって、いつしか自分の「宝物」の存在を忘れてしまいます。
私たちの世界は、それによって今までどれだけ、世界を変えるチャンスを逃してきたでしょうか。それを考えると、私たちが生きている時代に限っては、そして私たちとコンタクトが取れる世界にその「常識外れ」の説が存在する限りは、絶対にその「世界を変える」かも知れない「種」を逃したくないのです。それをしっかりした本として世に出し、勘のいい人に「新しい常識」の存在を気づいてもらいたいのです。
Ⅴ 「世界を変える」価値のある「常識外れの原稿」を全力で出版サポート
私たちは、そのようなチャンスを逃したくありません。ですから、あなたの気持ちや作品を応援する側に立ちたいと考えています。仮にあなたの文章が支離滅裂でも、その中に光る原石があれば、その文章の修正をサポートすることによって、原石を磨きたいのです。
だから、仮にあなたの本が原稿の状態であれ、逆にまだアイデアの段階であれ、ぜひ内容をしっかりと聞かせてください。そして仮に他の出版社が没だと判断していたとしても、私たちが「世界を変える可能性」「次代に残す価値」だと判断した場合は、何があっても出版し広く社会に発信していきたいと思っています。
逆に、あなたが「自分のアイデアなんて」「自分の体験なんて」とその価値を自覚していない場合は、価値を分かっていただけるまでお話します。
次なるコペルニクス、ダーウィン、アインシュタインに世界を変えるための発表の場を作りたい。社会の人々の目に触れる場でスポットを当てたい。
それがクリエイティブ集団COW AND CAT を立ち上げた理由であり、 目的であり、VISIONです。